2024年6月15日(土)
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聖書一日一章 詩篇 47篇
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神は上られる。喜びの叫びの中を。(5節)
作者は神を世界のすべての民を治める王としてほめたたえます。そして、神はやがて彼らをご自身のもとに集め、イスラエルの民に組み込まれると言います。それゆえ、すべての民に、神をほめたたえるように呼びかけます。
さて、5節では、「神は上られる。喜びの叫びの中を」と言います。「神は上られる」と言っても、どこからどこへ上られるのでしょうか。最も高いとところにおられるなら、そこから上るというのは変です。おそらく、作者は大集会でこの歌をうたっていると思われますが、そういう大集会では、神の臨在を感じるもので、神の臨在を感じているとすれば、神が下って来ておられるということで、下って来ておられるなら、また上られるでしょう。そういう意味ではないかと思います。
そんな意味で神が上られるとき、人々は喜び叫ぶというのです。神を覚えて集まり、神をほめたたえていると、神の臨在が感じられ、嬉しくなり、喜びが増し加わり、集会の終わり、神が上られるとき、喜びがクライマックスに達し、叫ぶというのです。神をほめたたえるのは神に喜んでもらうためで、神が喜ばれるのはわかりますが、ほめたたえる人々のほうが喜ぶというのは不思議です。しかし、事実、神をほめたたえると喜びが湧いてくるのです。
なぜでしょうか。まず、人間が神をほめたたえる者として造られたからでしょう。パウロはエペソ人への手紙1章3節で、神は私たちを天地創造以前からご自身をほめたたえるために選ばれたと言います。ほめたたえることはそのために造られた体と心にぴったり合っているので、気持ちいいのでしょう。また、神がほめたたえるにふさわしい、あらゆる面で完全ですぐれた方なので、的を射たことをしているので嬉しいのでしょう。また、神をほめたたえていると、自分の存在が高く感じられて嬉しいのでしょう。私たちは人と比べてコンプレックスを感じることが多いですが、神をほめたたえていると、人間の優劣を超越した神を思い、すべてのことを神の視点から見ることができ、その神に愛されている自分の尊さを覚えて嬉しいのでしょう。
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