2024年6月16日(日)
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聖書一日一章 詩篇 48篇
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高嶺の麗しさは全地の喜び。(2節)
1節に「神の都」とあり、「神の都」と言えばエルサレムですし、2節の「シオンの山」は、「シオン」がエルサレムの別名ですので、エルサレムのある丘を指していて、エルサレムのことを歌っているように見えます。しかし、もっと注意深く見ると、「主の聖なる山」は、エルサレムのある丘よりも、その中の聖なる場所とみなされていた神殿の丘を指していると考えられます。また、「北の端なるシオンの山」という表現も、当時、エルサレムの町が小さくて、神殿が町の北のほうにあったことを考えると、やはり神殿の丘を指しています。3節の「宮殿」も、普通なら王宮のことですが、「神が‥‥ご自分を砦として示された」とあるので、神の宮殿すなわち神殿のことでしょう。2節には「高嶺の麗しさ」とありますが、エルサレムの丘は「高嶺」と言うほど高くありませんが、神殿の丘を指すと考えると、たしかに、信仰的には非常に高いですし、実際的にも信仰的にも麗しいと言えます。
そうすると、作者は神殿に関連させて、神をほめたたえていることになります。それは、神殿が目に見えない神とその性質を現すものだからでしょう。神殿は神のどんな性質を現しているでしょうか。まず、1節で、「主は大いなる方」と言いますが、人々が驚くほどの神殿の威容は、神の偉大さを現しています。また、「主の聖なる山」と言いますが、聖なる神殿は、神がきよらかで聖なる方であることを現しています。また、2節で、「高嶺の麗しさ」と言いますが、芸術品のように造られた神殿は、神の麗しさを現しています。また、3節で、「神はご自分を砦として示された」と言いますが、敵に攻められたときに、神殿で、敵の撃退を祈って、その通りになった実績は、神が信じる人々の砦であり、脅かすものを撃退してくださることを現しています。
さて、パウロはコリント人への手紙第一3章16節で、「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」と言います。キリストを信じる私たちこそ、現在の神殿です。私たちは神と神の性質を現す務めがありますが、それは聖霊によってだけできることです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成