2024年6月17日(月)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    詩篇 49篇

_____________________________________________________________________________

なぜ、私はわざわいの日々に恐れなければならないのか。(5節)

作者は、「すべての国々の民よ。これを聞け」と言って、世界のすべての人に、人間にとって普遍的な真理を伝えようとします。その真理とは、財産に拠り頼むなということです。多くの財産を持っている人は、その財産によって永遠に安泰だと思っていますが、死と死後の滅びに対しては、無力で救い出すことができません。7節と8節では、「兄弟さえも、人は贖い出すことができない。たましいの贖いの代価は高く、永久にあきらめなくてはならない」と言います。反対に、15節で、「神は私のたましいを贖い出し、よみの手から私を奪い返してくださる」と言います。たましいの贖いは、財産にはできず、神にだけできるので、神に拠り頼むようにと勧めます。

さて、5節では、「なぜ、私はわざわいの日々に恐れなければならないのか」と言います。私たちは、災い、病気や事故や経済的な困窮や自然災害や人間関係のトラブルなどが起こると、これからどうやって生きていけばよいのか、これからは苦しいことが続くのか、もう平穏な日々は戻ってこないのかと恐れます。当然です。自分の平穏を壊されるのを恐れない人はいません。しかし、作者は、「なぜ恐れなければならないのか」と自問するのです。全能の神、どんなことでもでき、どんなものでも与えることができ、どんな問題も解決できる神が、おられるからです。自分の頭で考えると、もうどうにもならない、もうだめだという結論になっても、神には、人間がどうしても思いつかない奇想天外な方法がありますし、起こりえないことを起こす力もお持ちです。人間的には行き詰りでも、神的には行き詰まりではありません。神はキリストを信じる者に、キリストのゆえに、良い事を計画しておられます。神を信じましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成