2024年6月22日(土)

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聖書一日一章    詩篇 54篇

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あなたの御名によって私をお救いください。(1節)

ダビデが神に、横暴な者たちにいのちを脅かされていることを訴え、助けを求めた祈りです。6節と7節は、助けられた後の感謝の言葉のようです。

さて、1節では、「あなたの御名によって、私をお救いください」と言います。「あなたの力によって」とか「あなたの奇跡によって」ならわかりますが、なぜ「御名によって」なのでしょうか。名が人を救うことができるのでしょうか。6節でも、「御名に感謝します」と言って、名が救ってくれたかのような言い方です。どう理解すればよいのでしょうか。

私たちは名を人や物を識別する記号ぐらいに思っていますが、ほんとうはもっと力のあるもののようです。古代の人々は、自分の名を知られることには慎重で、本名を隠して仮名(かめい)を使うことが多かったそうです。それは、自分の名を知られると、知った相手に支配されるという感覚があったからです。たしかに、たとえば動物を飼うときには名をつけますが、名をつけるまではただの動物なのに、名をつけたとたん、その名で呼んで命じたり可愛がったりし、ある主従関係ができます。人間同士でも、名を知るまではただの住民あるいは通行人ですが、名を知り合ったとたんに関係ができます。

このことは霊的な世界ではもっと顕著です。私たちが人を知るのはかなり顔によっていますが、もし人間が霊的な存在であれば、名だけによるでしょう。実際、私たちは、聖書を読んでいて、ペテロやヨハネやパウロをよく知っていますが、彼らの顔も姿も知りません。いわば彼らを名によって知っているのです。霊的な存在である神との関係は、まさにこれです。モーセが神と出会ったとき、まっ先にその名を聞いたのは、そのためです。私たちはイエス・キリストという名によって救い主を知り、イエス・キリストの父なる神という名によって神を知っています。ですから、キリストのみ名によって祈れば、神は特別に聞いてくださるのです。霊的な存在である悪魔や悪霊は、私たち以上に名に敏感ですし、私たち以上にキリストと神の名を知っています。ですから、キリストのみ名を唱えれば、悪魔も出て行くのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成