2024年6月23日(日)

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聖書一日一章    詩篇 55篇

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あなたの重荷を主にゆだねよ。(22節)

ダビデが苦境の中で神に助けを祈った祈りです。9節で、「この都の中に暴虐と争い」があると言い、「昼も夜も彼らは城壁の上を歩き回」っていると言うように、いのちを脅かす者が自分の都の中にいました。しかも、「私をそしっているのは敵ではない。それはおまえ。私の同輩、私の友、私の親友のおまえなのだ。ともに親しく交わり、神の家に一緒に歩いて行ったのに」と言います。ともに礼拝した親友が、敵対し、そしっているのです。ダビデは、恐れとともに裏切られた悔しさを感じていました。

そんな中で6節で、「ああ、私に鳩のように翼があったなら。飛び去って、休むことができたなら。ああ、どこか遠くへ逃れ去り、荒野の中に宿りたい」と言います。緊張と心労が高まる中で、どこか遠くへ逃げたい、鳩のように空を飛んで、だれもいない所に行って、休みたいと願うのです。私たちもそんなふうに願う時があります。疲れがたまって、限界だと思うとき、緊張するような状況が長く続くとき、責任が重く耐え切れなく感じるとき、責められてばかりいるとき、あまりにやることが多すぎて、何をしてよいのかわからなくなるときなどです。しかし、ダビデは、現実には逃げることができません。自分が逃げれば、国が無茶苦茶になりますし、家族を放っておくことはできませんし、自分のように顔を知られた者はどこに行ってもわかってしまいます。私たちも、現実には、自分の責任や、家族のことや、食べていくためのお金のことを考えて、多くの場合、無理なのです。

しかし、ダビデは22節で、信仰が湧き上がってきて言います。「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。」キリストもマタイの福音書11章28節で、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と約束しておられます。主は私たちの重荷、疲れ、緊張、心労、行き詰まりといった重荷をご存知です。主は私たちのつらさを知り、同情しておられます。私たちにはどうすることもできなくても、主は、重荷を取り去り、休ませることが可能です。私たちが重荷をゆだねさえすれば、主は動き出してくださいます。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成