2024年6月30日(日)
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聖書一日一章 詩篇 62篇
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私は決して揺るがされない。(2節)
ダビデはこの詩で、いのちを奪おうとする敵の脅威を感じつつも、神に、ご自身を信頼すると誓い、そうするように自分自身に言い聞かせています。
2節では、「神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない」と言いますが、そのように神を100%信頼し、1節で、「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む」と言うように、少しも揺れ動かず、神の助けをただただ待ち望もうとしています。それこそ、信仰の道です。敬虔な信仰者たちはそのように信頼して待ち、神に喜ばれ、祝福されました。
それができれば、何も言うことはありません。しかし、ダビデは神への信頼をぐらつかせるような脅かしと戦っていたようです。戦う相手は、敵自体ではなく、敵によって起こされた心の恐れや悲観や絶望だと思われます。そういう戦いがあるからこそ、神を信頼しようと決心し、そうするように自分に言い聞かせているのでしょう。その心の恐れや悲観や絶望こそ、悪魔の攻撃だと思います。悪魔はいつも信仰者に神への信頼を失わせようとしていて、そのためにいろいろな攻撃をしてくるのです。
それは私たちに対しても同じです。3節では、「おまえたちは、いつまで一人の人を襲うのか」と言いますが、悪魔は肉体を攻撃することによって、信仰者を弱気にし、臆病にします。また、4節では、「人を高い地位から突き落とそうと企んでいる」と言いますが、この世の地位を失わせることによって、信仰者を絶望させ、神の子の高い地位を忘れさせます。また、7節では、「私の救いと栄光は、ただ神にある」と言いますが、自分で自分を救えると錯覚させ、自分は強いという誇りを持たせ、神に頼らなくてもよいと思わせます。また、10節では、「圧制に頼るな」と言いますが、国家権力であれ家の中の小さな権力であれ、権力を持たせ、信仰者を権力に頼らせます。また、同じ節で、「富が増えても、それに心を留めるな」と言いますが、富を与えて、信仰者を富に頼らせます。どんな信仰者でも悪魔の攻撃はつねにあります。キリストにより聖霊により、雄々しく戦いましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成