2024年7月1日(月)

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聖書一日一章    詩篇 63篇

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私は生きるかぎりあなたをほめたたえます。(4節)

この詩は、前書きに「ダビデがユダの荒野にいたときに」とあるように、サウル王に追われて人里離れた荒野にいたときに作ったものです。ダビデのほかの多くの詩とは違って、敵の脅威やいのちの危機の気配はありませんが、荒野のからからに乾いた何もない地で暮らす厳しさ、水や食糧の乏しさ、日差しの強さや夜の寒さ、楽しみのなさなどが伝わってきます。

さて、1節で、「水のない、衰え果てた乾いた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身もあなたをあえぎ求めます」と言います。水のない乾いた地にいて、のどの渇きだけでなく、たましいの渇き、神との交わりへの渇きを感じるというのです。のどの渇きとたましいの渇きは無関係なのに、どうしてそうなるのでしょうか。いろいろ考えた結果、こういうことだと思いました。人間は生まれながらに神から離れているので、神との交わりへの渇きを感じている、豊かな生活の中では、いろいろな物に紛れてその渇きを忘れているところ、荒野の何もないところで、それを強く感じたということでしょう。

ところで、5節では、「脂肪と髄をふるまわれたかのように、私のたましいは満ち足りています」と言います。たましいが渇いていたのに、ここでは、おいしいごちそうを食べた後のように満ち足りているというのです。どうしてでしょうか。「あなたを仰ぎ見ています」、「私の唇は、あなたを賛美します」、「私は生きるかぎりあなたをほめたたえます」、「私の口はあなたを賛美します」と言っているところから、賛美したことによってそうなったのだと思います。賛美はたましいに対して大きな力があります。賛美していると、たましいが喜び、潤い、満ち足りるのです。私たちは、たましいの渇きを、何かで満たそうとします。食べることで満たそうとしたり、お金を持つことで満たそうとしたり、おもしろいことや刺激的なことや熱狂的なことで満たそうとしたりします。ひょっとしたら、社会的に良くないことで満たそうとするかもしれません。でも、そんなことでは満たせません。それより、神を仰ぎ見、賛美しましょう。賛美はたましいに対して大きな力があります。

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