2024年7月4日(木)

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聖書一日一章    詩篇 66篇

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確かに神は聞き入れてくださった。(19節)

作者は、神が昔からイスラエルの民のためにされたみわざを思い返し、「あなたのみわざは、なんと恐ろしいことでしょう」と言って、神をたたえます。また、イスラエルの民の苦難を思い返し、「銀を精錬するように、私たちを錬られました」、「しかし、あなたは私たちを、豊かな所へ導き出してくださいました」と、神が苦難も恵みに変えられたことを言って、神をたたえます。そういう神のみわざと恵みを思いながら、神殿に行き、全焼のささげ物を献げます。そして、そこで神に祈り、「確かに神は聞き入れ、私の祈りの声に耳を傾けてくださった」と言います。

さて、18節では、「もしも不義を、私が心のうちに見出すなら、主は聞き入れてくださらない」と言います。心の中にある不義とはどんなものでしょう。キリストはマルコの福音書7章21節で、人の心の中にある悪い思いとして、「淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさ」を挙げておられます。そういう悪い思いは、程度の差はあれ、だれの心にもあるものです。それは仕方がありません。しかし、私たちが祈るとき、願いがそういう思いから出ていることがあります。願いがそういう思いから出ているなら、神は聞き入れてくださいません、というか、聞き入れることができません。ですから、私たちは祈るときに、自分の願いがそういう思いから出ていないかどうか省みましょう。悪い思いに気づいたら、思い切って捨てましょう。捨てることは、そのときはつらいですが、きっと後で良かったと思い、喜ぶことになり、神の祝福を体験することになるでしょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成