2024年7月8日(月)

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聖書一日一章    詩篇 70篇

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神よ。私を救い出してください。(1節)

ダビデは、1節から3節では、かなり危険が迫っているようで、急いで助けに来てくださいと祈っています。4節と5節では、すでにその危機から助けられたようで、神を慕う人がみな神に助けられ、神を崇めるようにと祈り、また、次に危機に陥るときには遅れないで助けてくださいと祈ります。

さて、最初の部分では、敵にいのちを狙われ、殺されそうになっています。敵はただ戦いの相手だから殺そうとしているのではなく、激しく憎み、災いにあうように切に望み、辱め、「あはは」とあざ笑うと言います。そんなふうに怨念を込めて殺そうとされるのは、ほんとうに恐ろしいです。このような苦難は、普通の人が経験することはまずないでしょう。しかし、同じような苦難を経験した方がおられます。キリストです。キリストは、神の真理と救いを伝え、良いことだけをされたのに、イスラエルの力ある人たちからは激しい憎悪を向けられ、いのちを狙われ、逮捕され、十字架につけられ、「あはは」とあざ笑われました。

しかし、キリストがダビデと違うのは、「私を救い出してください」とは祈られなかったことです。もしキリストがそう祈られたなら、キリストを愛してやまない神は、すぐに助け出されたことでしょう。み使いたちの軍勢を送り、十字架から降ろし、十字架につけた人たちを焼き滅ぼしてしまわれたかもしれません。キリストがそうされたなら、私たちが罪と滅びから救われる可能性はなかったでしょう。しかし、キリストはそうはされませんでした。「私を救い出してください」と祈るかわりに、「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」と祈られました。そして、神から差し出された杯、つまりすべての人の身代わりとしての苦しみを全部飲み干されました。それによって、私たちは罪を赦され、永遠のいのちを与えられたのです。キリストが「わたしを救い出してください」と祈られなかったゆえです。感謝です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成