2024年7月10日(水)

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聖書一日一章    詩篇 72篇

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王は、牧草地に降る雨のように下って来ます。(6節)

この詩は預言者かだれかが王と王の子のために祈ったものです。王の勢力が拡大し、世界中に及び、自然の恵みが豊かで、経済的に栄え、王が長生きしてその名がたたえられるようにと祈ります。このように王の勢力拡大と繁栄を祈るのは、どの国でも同じです。違うのは、そのために王が神の目に正しいことをするようにと祈ることです。王の勢力拡大と繁栄は、神の祝福による、神の目に正しいことをすれば、その祝福を受けることができるという信仰があるからです。神の目に正しいこととして、4節では、「民の苦しむ者たちを弁護し、貧しい者の子らを救い、虐げる者どもを打ち砕く」と言います。わいろによる不正な裁判で泣いている人を、正しい裁判で救うことなどです。12節から14節では、王は、「叫び求める貧しい者や助ける人のない苦しむ者」を「あわれみ」、「虐げと暴虐から彼らのいのちを贖います」と言います。暴力や貧困に苦しんでいる人々を救うことです。14節では、「王の目には、彼らの血は尊いのです」と言います。国民を、大きい者も小さい者も尊い人として尊重することです。人権尊重の精神です。

さて、6節では、「王は、牧草地に降る雨のように、地を潤す夕立のように下って来ます」と言います。王が雨のように下るとは、どういうことでしょうか。これは、牧草地や畑地が乾燥して、草や作物が枯れそうになっているときに、ちょうど雨や夕立が降ってくれるとありがたいですが、それと同じように、民が困っているときに、王がちょうどよい助けをしてくれることです。これこそ王の理想像です。いや、すべてのリーダーの理想像です。

しかし、だれがこんな王になれるでしょうか。若いときにはそんな理想を持っていても、権力の座に着くと、自分の統治の都合や名を挙げることを優先し、そのために民を道具のように見るようになってしまうものです。民が困っているときに、現れ、正義と力をもって助ける王と言えば、キリスト以外に考えられません。キリストは私たちの理想的な王です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成