2024年7月11日(木)

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聖書一日一章    詩篇 73篇

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神のみそばにいることが幸せです。(28節)

作者は2節で、「私は、足がつまずきそうで、私の歩みは滑りかけた」と、信仰がぐらついたことを告白します。そしてその理由として、3節で、「悪しき者が栄えるのを見て、彼らをねたんだから」と言います。神を嘲る人々が栄えているのを見てねたんだことが原因でした。それで、自分が神の前にきよくあろうと努力してきたことがむなしいと感じたことを告白します。しかし、17節で、「ついに私は、神の聖所に入って、彼らの最期を悟った」と言います。神を嘲る人々が瞬く間に滅ぼされることを垣間見たのです。23節以下では、神を信頼して神とともに歩むことの幸せを語ります。

25節では、「あなたのほかに、天では、私にだれがいるでしょう。地では、私はだれをも望みません」と言います。私たちにはいろいろな憧れや望みがあります。それらは時とともに変わっていきますし、また、実現したときに、期待していたほどのものではなかったことに気づくことが多いです。しかし、神は知れば知るほど、そのすばらしさを発見するようなお方であり、だんだんと憧れや望みとなっていきます。そして、いつか、ほかの憧れや望みが消え、「あなただけがこの世界で私の憧れであり、私の望みです」と告白する時が来るでしょう。

また、26節では、「この身も心も尽き果てるでしょう。しかし、神は私の心の岩、とこしえに私が受ける割り当ての地」と言います。私たちは体を大事にしていますし、体が資本だと思っています。その体が弱っていって屍となるのはそんなに遠くではありません。また、私たちは知識が大事だと思っています。それで知識を貯えてきました。いずれ覚えたことを全部忘れ、知識を全部失う日が来ます。しかし、そうなっても神が「私の心の岩」であることは変わりません。何もかも失っても、神が「割り当ての地」つまり財産であることは変わりません。また、28節では、「私にとって、神のみそばにいることが幸せです」と言います。私たちにはいろいろな幸せがあるでしょうが、神のみそばにいることほどの幸せはありません。そして、その幸せはなくならないのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成