2024年7月13日(土)

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聖書一日一章    詩篇 75篇

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混ぜ合わされた泡立つぶどう酒が満ちている。(8節)

作者は、神の言葉、定めの時にすべての人をさばくので、だれも高ぶるなと警告される言葉を引用します。そして、人を高く上げたり低くしたりするのは、神だけができることだ、だから、自分はへりくだって神をほめたたえ、神が高く上げてくださるのを待つと言います。

さて、8節では、「主の御手には杯があり、混ぜ合わされた泡立つぶどう酒が満ちている」、「主がこれを注ぎ出されると、実に、すべての地の悪者どもは、それを飲み、かすまで飲み干す」と言います。ここで、「泡立つぶどう酒」は神の怒り、それを「飲み干す」とは、神の怒りを受けて滅びることを指すと考えられます。ぶどう酒が神の怒りのたとえなのは、感覚的に自然です。「泡立つぶどう酒」と言われるように、ぶどう酒は、シャンパンだけでなく、新しいものはみな発酵していて、泡立っています。それを皮袋に入れると、膨らんで破裂することが多いです。現在はガラスの瓶に入れますが、それでも破裂することが多く、火入れと言って、熱して酵母を死滅させてしまうことまでしています。そのように皮袋や瓶を破裂させるぶどう酒は、いかにも激しい怒りを連想させます。

ところで、皮袋や瓶を破裂させる大きな圧力は、ぶどう酒から出る小さな泡一つ一つが積もり積もって生じるものです。それは私たちの感情が、日々の嫌なことが積もり積もり、ある時、堰を切ったように爆発するのと似ています。嫌なことが積もり積もっている点では、神はそのレベルが違います。世界中の何十億もの人々が絶えず、高ぶり、冒瀆、暴虐、偽り、淫乱など、あらゆる罪を犯しています。神は、ヨナ書1章2節で、「ニネベの悪がわたしの前に上って来た」と言われるように、世界中から、ちょうどぶどう酒の泡が上に上ってくるように、数え切れない罪の情報が上ってきて、その一つ一つに怒りを感じながら忍耐しておられるのです。どれほどの怒りを忍耐しておられることでしょうか。キリストはその怒りを、「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」と言って、全部飲み、十字架でその怒りを全部受けられたのです。

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