2024年7月14日(日)

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聖書一日一章    詩篇 76篇

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あなたは、実にあなたは恐ろしい方。(7節)

作者は、イスラエルを助けるために大きなみわざをされた神をほめたたえます。5節で、「剛胆な者たちは略奪され深い眠りに陥りました。どの勇士たちにも手の施しようがありませんでした」と言います。これは、ヒゼキヤ王の時代にアッシリアの大軍が押し寄せ、エルサレムを包囲し、降伏を迫った時のことを思い起こさせます。列王記第二19章37節には、「その夜、主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな死体となっていた」とあります。神はそのようなみわざを起こし、ヒゼキヤ王と国民を救われたのです。

さて、7節では、「あなたは、実にあなたは恐ろしい方」と言います。そのみわざを見た作者は、神について、「力強い」とか「偉大な」とか「驚くべき」とかの言葉ではとても足りず、「恐ろしい」という言葉を使わないではおれませんでした。主には、「恐ろしい」という面があるのです。

一つの家でいっしょに暮らすとすれば、「恐ろしい」ような人よりも、優しく柔和で穏やかな人のほうが、気楽で良いでしょう。しかし、もしいっしょに戦場に行くとすれば、あるいは、もしいっしょにヒグマの出る山に行くとすれば、あるいは、もしいっしょに治安の悪い地域に行くとすれば、「恐ろしい」ぐらいの人のほうが、頼もしくて、いざという時のために安心です。

キリストは信じる人といつもともにおられます。そのキリストは、「わたしは心が柔和でへりくだっている」と言われるように、優しいお方なので、いつもともにおられても、緊張することもなければ気が重くなることもありません。ほんとうに幸いです。しかし、ヨハネの黙示録1章で、ヨハネの前に現れたキリストは、恐ろしいほど威厳に満ちておられました。ヨハネは、「この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ」と言います。迫害で死にそうだったヨハネにとっては、ほんとうに頼もしかったと思います。私たちが恐ろしい思いをするときには、キリストはきっと恐ろしいほどの威厳をもってやって来て、救ってくださることでしょう。

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