2024年7月15日(月)

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聖書一日一章    詩篇 77篇

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神よ。水はあなたを見ました。(16節)

作者は、1節では神への信頼を表明しているのに、2節からは急に迷っているような言葉になります。昔のことを思い出し、「主は、もう決して受け入れてくださらないのか」、「神は、いつくしみを忘れられたのか」などと言います。しかし、10節で、信仰が弱くなったのは、神が変わったと考えたからだと反省し、神は変わらない、昔のようにみわざを行われると確信します。さらに、モーセの時代に、神が水や雷や地震を用いられたことを思います。

さて、16節では、水について、「神よ、水はあなたを見ました。水はあなたを見て、わななきました。大いなる水も震え上がりました」と言います。水が神を見て恐れ、その命令に従ったと言うのです。出エジプトのときに、葦の海の前で、神が言われる通りモーセが手を伸ばすと、水は両側に分かれました。ヨシュアの時代に、神が言われる通り、契約の箱をかついだ祭司たちがヨルダン川に足を踏み込むと、水の流れが止まりました。また、キリストがガリラヤ湖で風と波を叱りつけられると、風と波がすぐに静まりました。

そんな奇跡だけではありません。80億の人間がみな毎日水を飲むことができるのは、水の地球規模の循環、海から蒸発し、雨として降り、地下水となり、泉として湧き、川となり、海に注ぐといった循環によります。この循環も神が天地創造において定められたもので、水がその定めに従っていると言えます。もちろん科学的な法則も関係しているのですが、その法則も神が定められたものだと考えると、水が神に従っていることに違いはありません。

最近、火星探査がさかんですが、水があるかもしれないという期待があるからです。水が流れた跡があり、昔は水が豊かにあったが、宇宙に蒸発してしまったと考えられています。地球の水が宇宙に蒸発しないで、留まっているのは、神がそのように命じておられ、水がそれに従っている結果と考えると、これも神の大きな恵みだと言えます。私たちは雨が降ると、濡れるし、外に出にくくなり、イベントなども中止になるので、嫌だなと思うし、「あいにくの雨で」とか言いますが、雨が降ることは神の大きな恵みです。

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