2024年7月18日(木)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 詩篇 80篇
_____________________________________________________________________________
光を放ってください。(1節)
イスラエル北部のイスラエル王国の危機のときに、神の助けを求めた祈りです。外国に侵略され、領土をむしり取られていたようです。
さて、1節で神に、「光を放ってください」と言い、3節でも7節でも19節でも、「御顔を照り輝かせてください」と同じ意味のことを言います。国が輝きを失っているので、神が光を放ち、国を輝かせてくださいという祈りです。外国に侵略されるのは、国力が弱っているからで、それは国が輝きを失っていることにほかなりません。どこの国の王も、自分の国が輝くことを願いますが、王が願って努力をすればそうなるというものではありません。それは人間の力を超えていて、神のみ心により、神の祝福によることです。その点、イスラエルは、世界で唯一創造主なる神を知っている国ですから、神の祝福が約束されていて、輝くはずなのです。しかし、肝心の人々の心が神から離れ、ほかの国と変わらなくなっているのです。光を放ってくださいと祈るだけではなく、自分たちが神に立ち返らなければなりません。残念ながら、そうなることはなく、やがて国は滅びてしまいます。
しかし、神はその地域を見捨てられたわけではありません。イザヤはその書の9章で、その地域の一部ガリラヤ地方について預言します。「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。」その大きな光として、キリストが、ガリラヤ地方に現れました。ヨハネは、キリストに出会った印象をその福音書の1章で言います。「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」その8章では、キリストご自身が「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます」と言われます。パウロは、ダマスコへの途上で、キリストのまぶしい光を見て回心しました。そのパウロはコリント人への手紙第二4章6節で、「神は、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださった」と言います。神はキリストの御顔によって、私たちの心にいつも光を放り、照り輝かせてくださいます。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成