2024年7月20日(土)

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聖書一日一章    詩篇 82篇

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弱い者とみなしごのためにさばけ。(3節)

1節では、「神は、神の会議の中に立ち、神々のただ中でさばきを下す」と言います。「神の会議」とか「神々」とか、いったい何のことかと思いますが、6節の神の「おまえたちは神々だ」という言葉を、キリストがヨハネの福音書10章35節で、「神の言葉を受けた人々を神々と呼んだ」と解釈しておられます。この解釈によれば、「神々」とは「神の言葉を受けた人々」、つまり預言者か、預言者の言葉を聞いた人々ということになります。この詩の内容からすると、神の言葉に基づいてさばいていたさばきつかさたちのことと思われます。彼らは神に代わってさばくので、「神々」と呼ばれているのでしょう。そんな尊い務めなのに、わいろを取ったり権力者の機嫌を伺ったりして不正なさばきをしていたので、神が叱責しておられるのでしょう。

さて、神は3節と4節で言われます。「弱い者とみなしごのためにさばき、苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。弱い者と貧しい者を助け出し、悪しき者たちの手から救い出せ。」世の中では、どうしても強い者がわがもの顔にふるまい、弱者が泣き寝入りすることが多いです。そこで、正義をもって弱者を救うのが裁判官の役割です。昔から名裁判官と呼ばれる人々は、そのような裁判をしてきました。しかし、いつの時代でも、どこの国でも、裁判官が、金持ちからわいろをもらって、有利な判決を下すということがありましたし、権力者に脅されて、権力者に都合のよい判決を下すということがありました。現在の日本では幸いそういうことはあまりありませんが、金持ちは優秀な弁護士を何人も雇うことができるので、公平にさばくのは大変です。

しかし、イザヤ書11章4節には、キリストについての預言があって、キリストは「正義をもって弱い者をさばき、公平をもって地の貧しい者のために判決を下す」と預言しています。キリストは今や神の右の座に着いておられ、父なる神からすべてのさばきの権威を与えられ、すべての人を天から目に見えないみ手でもってさばき、悪者を懲らしめ、弱者を救っておられます。この世の裁判官が正しくさばけなくても、キリストが彼らの上におられ、最終的にさばかれるので、安心です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成