2024年7月25日(木)
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聖書一日一章 詩篇 87篇
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私の泉はみな、あなたにあります。(7節)
4節では、神が、ラハブつまりエジプト、バビロン、ペリシテ、ツロ、クシュつまりエチオピアを、「わたしを知る者」として記憶すると言われます。未来にこれらの国々の民が創造主なる神を知るようになるとの預言です。同時に、神が彼らを「この都で生まれた」つまりエルサレムで生まれたとして記憶すると言われます。外国で生まれても、神の民となり、エルサレムの市民権を持つということです。5節でも6節でも、国々の民が『この都で生まれた』と記されて登録されることが言われています。この預言通り、キリストが来られ、すべての国の民に神を知らせ、神に受け入れられる道を開かれました。私たちも異邦人ですが、キリストを信じて神の民となり、神の国の国籍、神の都の市民権を与えられています。
さて、7節には、そのように神を知り、神の民となった者は、「『私の泉はみな、あなたにあります』と言う」とあります。いのちの泉、つまり生きる力が湧き出る泉が神にあるという意味です。私にとって、たしかにキリストは生きる力の泉です。この泉なしにはとても生きていけません。最近は年のために疲れやすくなり、なかなか疲れが取れなくなり、しなければならないことに腰が上がらないことが多くなってきました。「よいしょ」と言うことが多くなってきました。ですから、祈りの時を持ち、キリストから力を与えられないと何もできないということを実感します。しかし、この年になったからその力が必要なったのかと言うと、若い時のことを思い出して、そうではないことに気づきました。子どもの頃と言えば、ふつうは、遊びたいこと、興味のあること、したいことがいっぱいで、時間を忘れるぐらい楽しいものでしょう。私はそうではありませんでした。心身ともにバランスが悪く、何となくしんどく、どんよりしていました。ひょっとすれば、軽いうつ病だったのかもしれません。不眠症や胃炎もそこから来たのかもしれません。必死で頑張っていると、しんどいことを忘れられるので、いつも何かに頑張っていたように思います。そんな私にとって、キリストとの出会いはほんとうに幸いでした。そのときから、キリストは私の生きる力の泉となりました。キリストと出会っていなかったら、どんなにつらい人生だったことでしょうか。
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