2024年8月8日(木)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 詩篇 101篇
_____________________________________________________________________________
いつあなたは、私のところに来てくださいますか。(2節)
ダビデは2節でそう言って、神に自分のところに来ていただくために、「家の中」つまり宮廷をきよく保ちますと、神に誓っています。「私は家の中を全き心で行き来します。私は目の前に卑しいことを置きません。」「曲がった心は私から遠ざかります。私は悪を知ろうともしません。」
とはいえ、ダビデが「私のところに来てくださいますか」と言っているのが、具体的に何を指しているのか気になりますが、よくわかりません。しかし、私たちは、幸いなことに、いつでもキリストに自分のところに来ていただけます。ただ、思い当たる罪があれば、告白して赦してもらっておかなければなりません。
また、キリストはマタイの福音書18章20節で、「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです」と言われました。何人かが、礼拝のためであれ、祈りのためであれ、学びのためであれ、活動のためであれ、キリストの名において集まれば、キリストは必ずそこにおられるというのです。
さらに、キリストはやがて目に見える姿で来られます。キリストはマタイの福音書24章で、「人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見る」と言われ、「目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから」と言われました。キリストが雲に乗って来られる日は、いつか知らされていませんが、その日に信仰的に眠ってしまっていたということがないようにしなければなりません。ペテロはその手紙第二3章11節と12節で、「聖なる敬虔な生き方」によって、「神の日が来るのを待ち望み、早めなければなりません」と言います。待ち望むだけではなく、早めるようにと言われるのです。その日は、神が決めておられ、変わらないというのは、真理ですが、キリストはどんな祈りでも聞き入れてくださるので、私たちが「早く来てください」と祈っていると、早くなるというのも、矛盾しているようですが、真理だと思います。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成