2024年8月10日(土)
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聖書一日一章 詩篇 103篇
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主の恵みはとこしえからとこしえまで。(17節)
神の恵みがどんなに深いかを述べ、神をほめたたえるように、自分を鼓舞し、すべての造られたものに呼びかけます。「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病を癒やし、あなたのいのちを穴から贖われる。主は、あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは、鷲のように新しくなる。」「私たちの罪にしたがって、私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって、私たちに報いをされることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、主は私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。」
15節と16節では、人間がどんなにはかないかを花や草にたとえて言います。「人、その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。風がそこを過ぎると、それはもはやない。」同時に17節で言います。「しかし、主の恵みはとこしえからとこしえまで。」毎年、桜が咲き始めると、いつ見に行こうかと、カレンダーと天気が気になります。数日で満開になり、強い雨風で散ってしまうからです。ほんとうにはかないものです。私たちの人生は花のようにはかなく、それに比べ、神の恵みは永遠に変わらないというのです。私は牧師として初めて赴任した神戸の教会で、90才の方の洗礼の準備を担当しましたが、その方の言葉が忘れられません。「この年になって一生を振り返ると、もうあっと言う間なんですよ。」まだその心境には程遠いですが、この世がはかないことはよくわかります。若い時には、山のように大きくてどっしりとしていて、いつまでも変わらないと思ったものが、この数十年の間にどんどん移り変わっていきました。大きなビルが建て替えられ、多くの大きな企業がなくなり、なんと、多くの国がなくなり、地球の環境まで変わりました。キリストに初めて会ったときには、目に見えないので、心細く思いましたが、キリストとキリストによる神の恵みこそ、いつまでも変わらないものだとわかってきました。パウロはコリント人への手紙第二4章18節で言います。「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは、永遠に続くからです。」
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