2024年8月12日(月)

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聖書一日一章    詩篇 105篇

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主とその御力を尋ね求めよ。(4節)

「主に感謝し、御名を呼び求めよ」と呼びかけ、「主が行われた奇しいみわざを思い起こせ」と言って、先祖たちが経験した神のみわざを述べます。神がアブラハム、イサク、ヤコブと契約を結ばれたこと、彼らの旅を守られたこと、ヨセフによって飢饉から救われたこと、モーセを遣わし、奇跡によってエジプトから脱出させ、パレスチナを征服させられたことを述べます。

さて、4節では、「主とその御力を尋ね求めよ」と言います。今日はこの言葉を主が語られた言葉として聞きました。私は子どもの頃、いろいろな夢を持っていました。発明家になっていろいろ便利な物を発明したい、市長や知事のような人の上に立つ人になりたい、お金を儲けて世の中を動かしたい、などと思ったことがありました。しかし、12歳頃に聖書に出会い、教会に行き、キリストを信じるようになりました。それ以来、ずっと、神とキリストがどんな存在であるのか、神とキリストの力が現実の世界でどのように働いているのかを追求してきたように思います。それは、知りたいからでもありましたが、信仰が弱かったので、確信を得るためでもありました。きっと、聖霊が私の中で働いて、そのような求めを起こされたのでしょう。

そのように生涯追求するものは、クリスチャンならみな同じかと言うと、そんなことはありません。回りの人が救われるように、そのためにキリストを伝えることを生涯の使命と思っておられる方も多いでしょう。宣教師の働きによって救いと大きな恵みを受けた人は、宣教師になって外国でキリストを伝えるか、そんな宣教師を支えることを生涯していきたいと思う方も多いでしょう。キリストを信じて初めて温かい家庭の味を知った人は、信仰的な家庭を作ることを生涯追求していかれるかもしれません。ある方は、福祉の働きによってキリストの愛を現すことを、ある方は、社会を改革することを、生涯追求していかれるかもしれません。主から与えられる生涯追求すべきものは、それぞれ違います。私は、そんな中で、神とキリストがどのような方で、その力が現実の世界でどのように働いているかを追求するように導かれてきました。今日もう一度、「主とその御力を尋ね求めよ」と言われました。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成