2024年8月15日(木)

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聖書一日一章    詩篇 108篇

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あなたのまことは雲にまで及ぶからです。(4節)

この詩は、前半が57篇の7節以下とほとんど同じ、後半が60篇の5節以下とほとんど同じです。ダビデが苦戦する中で、神をほめ歌い、神の、国々を与えるという約束を思い出し、ともに出陣してくださいと祈ります。

さて、4節では、「あなたの恵みは大きく、天の上に及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです」と言います。神の恵みは大きく、山どころか、はるか上の雲にまで届き、雲どころか天の上にまで至るというのです。大げさな表現のように聞こえます。ダビデは、詩篇6篇で、「夜ごとに涙で寝床を漂わせ」る、つまり涙で部屋を満たし、寝床を漂わせると言いますが、これは大げさな表現です。しかし、神の恵みが天の上にまで及ぶというのは、けっして大げさな表現ではありません。神はあらゆる点で限りのない方です。存在においても、力においても、知識においても限りがありません。それなら恵みにおいても限りがないはずです。とはいえ、恵みにおいて限りがないとは、どういうことでしょうか。気前がよく、いくらでも与え、けっして惜しまないことでしょうか。愛情が限りなく厚く、どれほど多くの人がいても、一人一人に親以上の愛情を向けられるということでしょうか。限りなく寛容で、人間がこぞって反逆しても見捨てず、忠誠を誓った人間が7回の70倍ほど裏切っても赦し、温かく受け入れられるということでしょうか。

私たちは神についてほんのわずかしか知りません。パウロがコリント人への手紙第一8章2節で、神について、「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです」と言います。神について、知っているなどという思い上がった自意識を持たないように気をつけましょう。私たちは神の恵みについてほんのわずかしか知らないのです。パウロはエペソ人への手紙2章17節以下で私たちのために祈ってくれています。「愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成