2024年8月21日(水)
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聖書一日一章 詩篇 114篇
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山々よ、なぜおまえは雄羊のように跳ねるのか。(6節)
出エジプトの歴史的な出来事を擬人的に、あるいはファンタジックに描いています。海が逃げ去ったというのは、モーセとイスラエルの民の前で海の水が両側にひいたことですし、ヨルダン川が引き返したというのは、ヨシュアの前でヨルダン川の流れが止まったことです。山々が跳ねたというのは、シナイ山が激しく震えたことでしょう。
さて、6節で、「山々よ、なぜおまえは雄羊のように跳ねるのか」と言います。シナイ山が激しく震えたことを山々が雄羊のように跳ねたと表現しているのですが、甚だ大げさに聞こえます。しかし、大きな地震では山が崩れることが多いですし、そんな山のすぐふもとにいる人にとっては、大きな山が襲って来たようなものでしょう。能登地震では、至る所で山崩れが起きましたし、輪島市では、海岸の岸壁が何十kmにもわたって4mも隆起したそうです。それもなんと5秒ぐらいで起こったそうです。まさに雄羊のように跳ねたのです。
しかし、普通はありえないことです。作者が言った「なぜ」には、そのありえないことが起っている驚きが込められています。同時に、その「なぜ」には、世界を支配される全能の神が起こしておられるという信仰と、そんなことを起こされる神はすごいという称賛が込められています。私たちもキリストを信じて歩んでいると、このような意味での「なぜ」を思わず口にすることがあります。なぜ、あんなにひどい事故だったのに、かすり傷一つしていないのだろう。なぜ、この人が偶然にも都合よくこんな所にいてくれるのだろう。なぜ、何も知らない人が、自分たちが必要としている費用にぴったりの額を献金をしてくれたのだろう。なぜ、あんなに頑なに神を否定していた人が教会に来てくれたのだろう。なぜ、ステージ4まで進行していたガンが、きれいに消えてしまったのだろう。「なぜ」に対する答えは言うまでもありません。全能の神が全能の力を働かせてしてくださったのです。神にできないことはありません。どんなことでもできます。ハレルヤ。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成