2024年8月22日(木)
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聖書一日一章 詩篇 115篇
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ただあなたの御名に、栄光を帰してください。(1節)
作者は2節で、「彼らの神は、いったいどこにいるのか」という、外国人からの自分たちの信仰に対する批判を取り上げます。たしかに、自分たちの神は目に見えず、外国の神々のように、「これを見なさい」と言うことはできません。しかし、作者は言います。「彼らの偶像は金や銀。人の手のわざにすぎない。口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、手があってもさわれず、足があっても歩けない。」
しかし、外国の宗教においても、像は神をかたどったものに過ぎず、神そのものではありません。それでは、神そのものはどこに存在するのでしょうか。調べてみました。ギリシャのゼウスはオリュムポス山、ポセイドンは海底、ハデスは冥界、エペソのアルテミスは森に住んでいるそうです。インドの神々についてはよくわからないのですが、おそらくそれぞれの住んでいる場所があるのでしょう。日本の神道では、もともと像はなく、神の霊が宿る山や森や木や岩を「御神体」として崇めています。これらの神々について言えることは、一つは、ある場所を治める神であっても、世界万物を治める神ではないということです。ですから、困ったときに必死で祈っても、「管轄外だ」と言われるかもしれません。一つは、ある場所に住んでいる神なので、その場所に行かないと益を受けられないということです。最近、パワースポットという場所が人気ですが、まさにそれです。しかし、本当は、神は唯一で、天地万物を創造しすべてを治めておられる全能の神だけです。生きて働いておられ、信じる者の祈りを聞き、答えられる神です。私たちはキリストによってこの神を知りました。この神を知ったことは何よりもの幸せです。
とはいえ、その神を知らない人からの「神は、いったいどこにいるのか」という質問に、どう答えることができるでしょうか。神を知っている私たちが神の力や恵みを経験して、「神はこの通りほんとうにおられる」と証言するしかありません。1節では、「主よ、私たちにではなく、ただあなたの御名に、栄光を帰してください」と言いますが、神に栄光を帰するということは、経験したすばらしいことを、神がされたこととして証することでしょう。
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