2024年9月5日(木)
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聖書一日一章 詩篇 119篇161~176節
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私は大きな獲物を見つけた者のように、あなたのみことばを喜びます。
(162節)
作者は、161節からの段落では、自分がどんなに神の言葉を愛しているかを語っていますが、169節からの段落では、かなり雰囲気が変わります。176節で、「私は、滅びる羊のようにさまよっています」と告白しているように、信仰的停滞を感じています。そのため、「あなたのみことばのとおりに、私に悟りを与えてください」とか、「私を救い出してください」とか、「私の唇に、賛美が湧きあふれるようにしてください」と祈っています。私たちにもそういう時がありますので、とてもよくわかります。
さて、162節では、「私は、大きな獲物を見つけた者のように、あなたのみことばを喜びます」と言います。私たちはみ言葉を大事にしていますし、もっと学びたいと思っていますし、み言葉にいつも励まされています。しかし、狩人が獲物を何日も待ってやっと見つけた時のように喜んでいるかと言うと、そこまでは喜んでいないように思います。たしかに、聖書がほんとうに神の言葉だと聞いて、信じたときには、目に見えない方、探ろうとしてもさっぱりわからない方、そんな神の言葉が手もとにある、限りなく遠い神のことをはっきり知ることができるという驚きと喜びがありました。また、聖書をかなり読んで、神のこと、罪のこと、キリストのこと、救いのことが全体的によくわかったときも、大きな喜びがありました。もちろん、毎回聖書を読むごとにそんな喜びがあるわけではありませんが、ときどき、それまでわからなかったことが、突然、雲霧が晴れるようによくわかり、ほんとうに嬉しい時があります。また、よく知っている言葉なのに、隠れていた深い意味がよくわかり、「そうだったのか」と思わず手をたたくことがあります。み言葉には無限の内容があり、無限の深みがあり、そういうことはいくらでもあると思います。そのためには、聖霊に教えていただかなければなりませんし、目を開いていただかなければなりません。聖霊を注ぎ、目を開いてくださって、宝のような真理を見つけ、喜ぶことができるようにしてくださいと祈りました。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成