2024年9月7日(土)
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聖書一日一章 詩篇 121篇
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主はあなたの右手をおおう陰。(5節)
120篇以降、この詩も含め、15の詩に「都上りの歌」という前書きがついています。人々が遠くからエルサレムの神殿に礼拝に行く途中で歌った歌だと思われます。今日の121篇は、神の守りということを主題に歌っています。「私の助けはどこから来るのか」、「私の助けは天地を造られた主から来る」と自問自答します。そして、神はまどろむことなくあなたを守り、すべてのわざわいから、今よりとこしえまで守られると言います。
さて、5節では、「主はあなたの右手をおおう陰」と言います。この「陰」という表現が、神の、目に見えず五感でとらえることができない存在を的確に表しているように思いました。
陰は、太陽の日差しと対照的です。太陽の日差しは、晴れた日の明るさや寒い日の暖かさなどで、よく意識しますし、日当たりがよいと植物がよく伸びますので、植物の成長のために役立っていることがよくわかります。一方、陰のほうは、普通は意識しません。自分が何かの陰に入っても、ほとんど気づきません。しかし、真夏はとくにそうですが、日差しが強くて耐えられないときに、陰があると、「ああ助かった」と思いますし、陰のありがたさに気づきます。
神は光の中におられ、すべてのものに光を照らし、すべてのものに恵みを注いでおられます。そのイメージは太陽の日差しにぴったりです。しかし、私たちの実際の生活においては、神の存在やその恵みはそんなにはっきりと感じられるわけではありません。むしろ、陰のように、普通は意識しないし、気づかないのに、大きな問題が起こると、ご自身の陰に入れて、覆ってくださるので、はじめてその存在に気づくのではないでしょうか。つまり、神は、「あなたの右手を(気づかないほどそっと)おおう陰」なので、「日があなたを打つことはな」いのです。
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