2024年9月11日(水)

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聖書一日一章    詩篇 125篇

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正しい人が不正なことに手を伸ばさないようにするためだ。(3節)

神を信頼する人々は、エルサレムが山々に囲まれるように、神に守られるので、けっして揺るがないと言い、そういう人々に神の慈しみを祈ります。

さて、3節では、神がご自身を信頼する人々を守られる具体的な例として、「悪の杖が正しい人の割り当て地の上にとどまることがなく」と言います。杖は権力を表しますので、土地が悪い権力者に力ずくで奪われることがないということです。イスラエル人にとって土地は神から割り当てられた大事なもので、生活の基盤ですので、いのちの次に守ってもらいたいものでしょう。

次に、「正しい人が不正なことに手を伸ばさないようにするためだ」と言います。悪者から守られるだけでなく、自分が悪いことをしないように守られる必要があります。「不正なことに手を伸ば」すという表現は、自分からすることだけではなく、かかわり合うことも含めているようです。私たちは自分から不正なことをすることは少ないでしょうが、かかわり合うことはあるでしょう。たとえば、経済が悪くなって、生活必需品が不足すると、悪い人たちが不正に手に入れた物を高く売る闇ルートができるでしょう。そういう闇ルートから買えば、不正にかかわり合うことになります。しかし、なくては生活できない物を買わないのはほんとうに難しいでしょう。不正にかかわり合わないためには、そういう葛藤をする前に、神に経済を祝し、安定した生活ができるようにしてくださいと祈らなければなりません。

ところで、バプテスマのヨハネが、町から離れ、ラクダの毛衣といなごと野蜜で生活したのは、町で流通している物を一切使わないため、そのようにして社会の不正に一切かかわり合わないためだったと思われます。しかし、キリストはそうはされませんでした。むしろ、不正な取り立てをしている取税人たちや不道徳な仕事をしている遊女たちの中に入って行かれました。彼らを救うためです。不正にかかわらないでそれができたのは、キリストにはどんな悪もきよめるすごい力があるからでしょう。キリストが行かれるところ、不正な世界が正しい世界になっていきます。キリストとともに行きましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成