2024年9月14日(土)

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聖書一日一章    詩篇 128篇

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主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。(4節)

「主を恐れ、主の道を歩む人」、つまり神を大事にし、神の言葉に教えられる通りに歩む人が受ける祝福を挙げています。食べる物に不足しないこと、愛すべき妻、子どもたち、多くの子孫、住んでいる町の平和などです。家庭的祝福と言ってよいでしょう。神を恐れ、神の道を歩む人は、そのような祝福を受けるというのです。キリストもマルコの福音書10章29節でそのような祝福を約束しておられます。ペテロの「私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。(どんな報いをいただけるでしょうか)」との問いに、答えられました。「わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は、今この世で、迫害とともに、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑を百倍受け、来たるべき世で永遠のいのちを受けます。」キリストは、来たるべき世での永遠のいのちとともに、この世での家庭的祝福も約束しておられるのです。この約束について2つのことを思いました。

一つは、キリストは、すべてを捨ててご自身に従ってくる人に、この祝福を約束しておられます。自分の十字架を負ってキリストに従っていく人と言ってもよいでしょう。永遠のいのちのほうは、信じるだけで与えられますが、この世での祝福は、キリストにどのように従っていくかと関係があるようです。ただ、キリストに従う姿勢は、聖霊によって変えられていくものなので、努力の結果というよりも、聖霊の賜物です。

もう一つは、この世での家庭的祝福は、キリストに従うすべての人に与えられるわけではなく、求めない人もあり、切に求める人に与えられると思います。というのは、私たちが新約聖書でよく目にする聖徒たちは、多くが独身で、家庭的祝福よりも、キリストの教えと救いを伝えることを望んでいたからです。キリストに従う人でも、与えられる祝福はみな違います。来たるべき世に永遠のいのちを与えられるだけでも、身に余る恵みなのですが、キリストに従っていく人は、この世においても、その人にとって、不足のない祝福を受けることでしょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成