2024年9月15日(日)

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聖書一日一章    詩篇 129篇

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あなたがたに主の祝福があるように。(8節)

1節に、「彼らは、私が若いころからひどく私を苦しめた」とあり、だれかに虐待されていたようです。3節の、「耕す者たちは私の背に長いあぜを作った」というのは、鋤であぜを作るように、鞭で背中にあぜのような傷跡を作ったという意味ですが、ひどい話です。5節では、「シオンを憎む者」つまりエルサレムを憎む者と言っているので、この虐待は、民族的な敵意によるものでしょう。しかし、幸いにも2節で言うように、「彼らは私に勝てなかった」のです。その原因は、4節で言うように、「主は正しくあられ、悪しき者の綱を断ち切られた」からでした。5節以下は、虐待した者に対する呪いの言葉です。呪うことは一般的には良くはありませんが、虐待されてきた人が虐待から解放されたときに、虐待してきた者について、「あんな奴は消えてしまえ。もう二度と目の前に現れるな」と言っても自然ではないでしょうか。

さて、8節は、そんな奴には通りがかりの人も「あなたがたに主の祝福があるように」とは言わないと言います。たしかに虐待するような人には、「あなたがたに主の祝福があるように」などと言いたくありません。しかし、反対に、神を愛する人には言うべきですし、言いたいですし、私たちも言われたいですね。この祝福の言葉は、信仰なしにはただの言葉ですが、信仰をもって言うなら、祈りであり、神はかならず聞きあげてくださいますし、神が聞きあげられたなら、必ず祝福を与えてくださいます。ぜひ互いに「主の祝福がありますように」と言いましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成