2024年9月16日(月)

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聖書一日一章    詩篇 130篇

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あなたが赦してくださるゆえに。(4節)

作者は、1節で、「主よ、深い淵から私はあなたを呼び求めます」というように、深い悩みがあって、神に助けを求めています。8節では「イスラエルを」と言っているので、この悩みは作者の個人的なものではなく、イスラエルの民族的なもののようです。また、3節でも8節でも「不義」という言葉がありますので、不義を問題にしているようです。おそらく、イスラエルの民族的な苦難の中にあって、人々の不義がその原因だと考え、その赦しを祈り求めているのでしょう。

さて、3節では、「あなたがもし、不義に目を留められるなら、だれが御前に立てるでしょうか」と言います。人間が悪いことは事実であり、何でも見通される神が見られ、不義を責められるならば、だれも弁解することができません。神が憐れんで赦してくださることだけが、望みです。それで、4節では、「あなたが赦してくださるゆえに」と、先回りして神の赦しを信じています。

また、5節と6節では、「主を待つ」ということを強調しています。神の何を待つのかと思うと、「主のみことばを待ちます」と言います。どんなみ言葉を待つのでしょうか。おそらく、「赦す」という言葉でしょう。神から「赦す」という言葉が与えられれば、苦難からの解放は確実であり、その終わりは近いからです。このようにここでは、旧約時代の敬虔な人々が、神の赦しの言葉を待ち望んでいるのですが、それを考えると、キリストによる罪の赦しは、すぐで、直接で、確実で、なんとありがたいことでしょうか。キリストは、神の子として罪を赦す権威を持っておられ、また、すべての人の罪を赦すために、その身代わりに十字架で死なれ、今や、だれでもご自身を信じるなら、即、赦されるのです。マタイの福音書9章で、人々が中風の友人を、キリストを救い主だと信じて、かついで来たとき、キリストはすぐに、「子よ、あなたの罪は赦された」と言われました。そして、直後に中風も癒されました。キリストは、だれでも、ご自身を救い主だと信じ、頼って来るなら、すぐに無条件で、「あなたの罪は赦された」と言ってくださるのです。なんとありがたいことでしょうか。

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