2024年9月22日(日)

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聖書一日一章    詩篇 136篇

 

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主に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。(1節)

 

ここでは、1節で、「主に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで」と言い、続けて、「こうこうこういう神に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで」という句を26回繰り返しています。そして、至高の神、天地を造られた神、イスラエルの民をエジプトから救い出された神、パレスチナの地を与えられた神、卑しめられたときに助けられた神に、感謝するようにと言います。

 

さて、神がなさったいろいろなみわざを挙げて、それをなさった神に感謝するようにと言いますが、すべて過去のことです。過去があって、現在があるわけですから、現在のことの感謝でもあると言えばそうですが、やはり過去のことばかりだと物足りなく感じます。しかし、作者にとっての現在は、あまり良い時代ではなかったのではないでしょうか。この詩が作られた正確な年代はわかりませんが、バビロン捕囚のころだったと思われます。良いこともあったでしょうが、苦しいことも多かったでしょう。

 

しかし、作者が一番多く繰り返しているのは、「主の恵みはとこしえまで」という句です。ここで私は、作者が一番感謝しているのは、「主の恵みはとこしえまで」ということであり、そのことは経験した出来事というよりも、信仰によって確信していることだと気づきました。私たちが経験することは、良いこともあれば、悪いこともあります。ひょっとすれば、悪いことのほうが多いでしょう。それなのに「感謝せよ」と言われたら、少し苦しいのではないでしょうか。でもそうではないのです。私たちは、目の前の現象は良いことも悪いこともあるとしても、キリストによって現された神の永遠の愛を信じ、キリストの約束によって、「主の恵みはとこしえまで」と信じ、信仰によって、神のその愛と恵みに感謝するのです。

 

 

<pre>テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成

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