2024年9月26日(木)

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聖書一日一章    詩篇 140篇

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暴虐を行う者から守ってください。(1節)

この詩は1節で、「主よ、私をよこしまな人から助け出し、暴虐を行う者から守ってください」と言うように、暴虐を行う悪者からの守りを祈ったものです。ここでは、人間を正しい人と悪い人というように2種類に分け、悪者を敵とみなしています。しかし、私たちは人間をそんなふうに見ることができません。キリストが、マルコの福音書7章20節で、すべての人について、「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の中から、悪い考えが出て来ます」と言われました。そのようにすべての人が悪を持っていることを教えられたからです。また、同じマルコの福音書2章17節で、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」と言われました。キリストは悪い人を敵と見ず、魂の病人と見、救うために招かれたし、今も招いておられるからです。

とくに「暴虐を行う者」については、パウロもかつて、暴虐を行っていましたが、キリストが魂の病人の一人と見、招き、癒されたことを覚えます。それなら、今、暴虐を行っている人も、キリストが魂の病人として招いておられるはずです。私たちは敵とみなすどころか、キリストによって魂が癒されることを祈らないではおれません。

しかし、「暴虐を行う者」の背後では悪魔が働いています。悪魔については話は別です。ペテロはその手紙第一5章8節で言います。「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。」また、ヤコブはその手紙4章7節で、「神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」と言います。悪魔こそ敵です。悪魔に対しては容赦はいりません。戦いあるのみです。ただ、私たちが戦って勝てる相手ではありませんから、キリストに戦っていただかなくてはなりません。私たちのすることは祈ることです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成