2024年9月29日(日)

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聖書一日一章    詩篇 143篇

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心は私の中で、荒れすさんでしまいました。(4節)

ダビデは、敵に攻められ、追い詰められる中で、神に助け出してくださるように祈ります。この詩ではとくに、物理的に追い詰められているだけでなく、たましいが追い詰められ、弱くなり、衰え果てていていることを訴えています。そして、物理的に敵から助けることによって、「私のたましいを苦しみから助け出してください」と祈ります。

さて、4節では、「心は私の中で、荒れすさんでしまいました」と言います。敵に追い詰められ、いのちの危険を感じる状態というのは、ものすごいストレスです。そのストレスによって、心が荒れすさんでしまったというのです。人間は極度のストレスによって、心が荒れすさむのだと思いました。現在、心が荒れすさんでいる人が、どれほどおられることでしょうか。犯罪を犯す人、とくに青少年の多くは、心が荒れすさんでいることが犯罪につながるように思います。そこまで行かなくても、いつもいらいらしていたり、怒りっぽかったり、何もかも投げやりだったり、言葉遣いが乱暴だったり、自分のことがどうでもよかったりする人が少なくありません。幼少期から虐待や家庭の問題で強いストレスを感じてきた気の毒な人もあるでしょう。仕事がきつかったりいろいろな問題が重なったりして、心が荒れすさんだ人もあるでしょう。現在の社会は、ストレスが多いですから、だれでも、心が荒れすさむことがありそうです。

そんな心が荒れすさみやすい私たちにとって、キリストは救いです。キリストはマタイの福音書11章28節で言われました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」心が荒れすさんでいるように感じるとき、キリストの胸に飛び込みましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成