2024年10月3日(木)

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聖書一日一章    詩篇 147篇

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人の足の速さを好まれない。(10節)

作者は、神の大自然を支配する偉大さと、小さく弱いものへの優しさと、散らされたご自身の民を集め、都を建て直す民への愛情をたたえます。10節では、「神は馬の力を喜ばず、人の足の速さを好まれない」と言います。当時の戦争では、機動力のある騎兵や戦車が大きな力を発揮しましたが、そのどちらにも必要な馬が大変重宝されました。また、歩兵も、集団で戦うので、一人一人の技量よりも集団が速く移動することが大事で、足の速い兵が重宝されました。それなのに、神は、馬の力も兵の足の速さも好まれないと言うのです。神はご自身の民を、そんなものによらずとも、ご自身の力で簡単に勝たせることができるからです。また、そんなものがあると、民がそれによって勝てると思い、神に頼ることも祈ることもせず、かえって負けるからです。それではどんな人を好まれるのか、11節で、「主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる」と言います。そういう人を助けると、神の力で勝ったと認識し、感謝し、賛美し、ご自身の栄光が現れるからです。

それにしても、「人の足の速さを好まれない」というのは、あまりにも常識に反しています。世の中、あらゆる所で競争があり、足の速い人が勝ち、それは幼児の“駆けっこ”から始まります。こんなに人生にも社会にも浸透しているのに、なぜ神は否定されるのでしょうか。まず、現実として、勝利するのは必ずしも足の速い者ではないからです。人生のあらゆる経験を積んだ賢者は、伝道者の書9章11節で言います。「競争は足の速い人のものではなく、戦いは勇士のものではない。」予想外の番狂わせがあるからです。また、「足の速さ」で評価すること、それに頼ることが間違っているのであって、神から与えられた賜物としては良いもので、用いられるものです。アブラハムがロトをさらった東の国の軍を追跡したときも、ダビデが家族をさらった略奪隊を追跡したときも用いられました。普通に用いられただけでなく、ご自身の力を加えて、すごい力にされました。それを知ったダビデは、完走した者にも途中で力尽きた者にも、等しく報いました。神の賜物ですし、神の力が加わって初めて成功するのですから、成果を人の功績にするのは良くありません。神に感謝し、成果を分け合い、ともに喜ぶことが大事です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成