2024年10月6日(日)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    詩篇 150篇

_____________________________________________________________________________

その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。(2節)

詩篇のこの最後の詩は、「ハレルヤ」で始まり「ハレルヤ」で終わりますが、「ハレルヤ」はヘブル語で「主をほめたたえよ」という意味ですし、同じ意味の「神をほめたたえよ」という句を何度も繰り返していますので、まるで「ハレルヤ・コーラス」です。

さて、作者は「ハレルヤ」、「主をほめたたえよ」と呼びかけるのですが、自分がするのはともかく、人に呼びかけるのなら、理由を説明しなければならないでしょう。ここでははっきりは言ってはいませんが、暗黙のうちに3つの理由を挙げていると思いました。

一つ目は、1節で、「御力の大空で、神をほめたたえよ」と言います。「御力の大空」とは、神の御力の詰まった大空という意味で、大空を見て、大空を造られた神の力に感心して、神をほめたたえよというのです。大空だけではなく、すべての自然が神の力を証しています。自然を見て、感動したなら、主をほめたたえましょう。

二つ目は、6節で、「息のあるものはみな主をほめたたえよ」と言います。神は土から肉体を造られましたが、ご自身の息を吹き込まれたとき、初めて本物の人間となりました。その神の息のために、人間は神に似た性質を持ち、尊いものです。それは、私たちを人間らしくしているものです。これを持っていることはすばらしいことです。神の息を与えられていると自覚するなら、主をほめたたえましょう。

三つ目は、2節で、「その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ」と言います。神のみわざは聖書にたくさん出てきます。その中でも最大最高のみわざは、罪深い者をキリストによって赦し、神の子どもにし、それにふさわしくきよく傷のない者とされることです。自分のような罪深い者も神の子どもにしていただいたと感謝しているなら、主をほめたたえましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成