2024年10月7日(月)
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聖書一日一章 箴言 1章
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皆で一つの金入れを持とう。(14節)
1節から7節は、箴言を編集した編者が書いた序文です。この箴言は、人が知恵を知り、身につけるため、とくに若い人が身につけるためのものと言います。ここで言う知恵は知能の知恵ではなく、神に祝福されるための知恵です。ですから、7節で、「主を恐れることは知恵の初め」と言います。8節からは、編者が自分の子を諭すように語りかけます。悪者の仲間になって悪巧みに加わってはいけない、人の血を流そうとしてはいけない、この書が教える知恵に耳を傾けるように、そうしなければ、自分を滅ぼすことになると。
さて、14節では、悪者たちが「われわれはくじで分け合い、皆で一つの金入れを持とう」と言うとあります。これは奇妙な光景です。欲望のために生きている人たちで、自分の利益しか考えず、だれの言うことも聞かず、思いやりのかけらもない人たちなのに、獲得した物を公平に分け、お金を共同管理しようというのです。一致団結は、善良な人でも難しいのに、どうして彼らにできるのでしょうか。おそらく、放埒に生きているように見えても、欲望や利益には忠実というか、逆らえないのでしょう。だから、欲望を満たすため、あるいは自分の利益を極大化するためには、仲間にも従い、共同管理もするのでしょう。ただ、友情や信頼に基づく連帯ではないので、「金の切れ目が縁の切れ目」で、利益が相反すると、すぐに崩れてしまいます。利益が一致する間だけまとまっているあぶなっかしい連帯です。
これとは対照的なのが、キリストを信じる人々の間の連帯です。使徒の働き2章44節には、ペンテコステの日にキリストを信じた人々が「みな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた」とあります。お金を集め、共同管理し、分配したのです。この場合は、欲望と自分の利益のための連帯とは対照的な、神への感謝と神の栄光のための連帯です。キリストにより聖霊により、このような連帯が可能だということはうれしいことです。ただ私たちは、キリストを信じ聖霊を与えられていても、まだまだ欲望と自分の利益のために動いてしまう者です。聖霊によって成長させていただけるように祈りましょう。
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