2024年10月10日(木)

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聖書一日一章    箴言 4章

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知恵の初めに、知恵を買え。(7節)

箴言の編者は、神に祝福されるための知恵を子を諭すように教えます。

さて、7節では「知恵の初めに、知恵を買え」と言います。何かを学ぶときに、その分野についてまったく知識がないと、何もかもちんぷんかんぷんで、興味も湧かず、学ぶ意欲も出てきません。しかし、少し知識を持つと、その知識によってその回りのことがわかり、少し興味が湧き、もっと知りたいと思うようになり、学ぶので、もっとよくわかり、もっと興味が湧きという具合に、加速度的に知識が増えていきます。ですから、知識を得るためには、最初の少しの知識が大事です。箴言で言う知恵は、神に祝福されるための知恵で、普通の知識とは違いますが、最初の少しの知恵を得ると、もっと知りたくなり、学ぶので、知恵がどんどん増えていくという点は、同じです。そこで、その最初の知恵を買えというのです。

この知恵は、後に何十倍、何百倍にもなり、神の豊かな祝福をもたらすでしょう。こんなに良い買い物はありません。しかし、本人がこの知恵に目が開かれていないと、心がいろいろなものに引かれ、それを買うことはありません。箴言の編者が親のような気持ちで、それを買えと言うのならば、編者自身が買ってやればよいのにと思います。しかし、それはできません。それができるのなら、クリスチャンの親はみな子どもにその知恵を買ってやるでしょう。それでは、知恵に目が開かれていない人が、どうやってその最初の知恵を得るのでしょうか。パウロはテトスへの手紙3章5節で言います。「神はご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。」神の憐れみによって聖霊が働き、その人に最初の知恵を注入したというのです。同時に、ペテロはその手紙第一1章23節で、「あなたがたが新しく生まれたのは、神のことばによる」と言います。つまり、その聖霊の働きは、神の言葉を伝えているときに起こるということです。私たちは、まったく知らない者でしたが、神が憐れみにより、誰かに神の言葉を伝えさせ、その人が語っているときに、聖霊が最初の知恵を注入してくださったのです。

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