2024年10月12日(土)
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聖書一日一章 箴言 6章
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自分を救い出せ。かもしかが狩人の手から逃れるように。(5節)
箴言の編者は神に祝福されるための知恵を教えてきましたが、ここでは借金の保証人になってしまうこと、怠けていて生活に行き詰まること、人妻と姦淫をすることなどに警戒するように教えます。
さて、うっかり他人の借金の保証人になってしまった時のために、3節で、「すぐにこうして、自分を救い出せ」と言い、そのときの非常手段を教えます。「伏して隣人にしつこくせがめ。あなたの目を眠らせず、自分を救い出せ。かもしかが狩人の手から逃れるように。」借金の保証人にならないようにしなければなりませんが、無知のために、あるいは断れなくて、保証人になってしまうこともあります。そのとき、自分のできる限りの手段を講じて、そこから逃れるようにというのです。借金に限らず、すべての致命的な過ちについて、過ちに陥らないようにしなければなりませんが、人間は過ちをおかすものなので、そのときに、できる限りの手段を講じてそこから逃れることが、重要です。そのような時、逃れる方法がないように見えるものです。しかし、そこであきらめず、嘆願するなり、せがむなり、座り込むなり、あきらめないで、自分のできる限りのことをする精神が大切です。
箴言の編者は、まだ神を信じていないふらふらした若者に語っているので、祈るようにとは勧めていませんが、神を信じている人には、できる限りのことをする上に、祈るという最高の手段があります。あきらめないで祈る上で、キリストがルカの福音書18章で話された「やもめと裁判官のたとえ」は、力になります。「ある町に、神を恐れず、人を人と思わない裁判官がいた。一人のやもめがやって来ては、『私のために裁判をしてください』と言っていた。この裁判官はしばらく取り合わなかったが、後になって考えた。『私は神をも恐れず、人を人と思わないが、このやもめはうるさくて仕方がないから、裁判をしてやることにしよう。』」自分の利益のためにしか動かないような裁判官なので、やもめは裁判をしてもらえる見込みはなかったのに、訴え続ければ、裁判をしてもらえました。まして神は正しく憐れみ深い方ですから、祈り続けるなら、聞き入れられないはずがありません。
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