2024年10月13日(日)

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聖書一日一章    箴言 7章

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わが子よ。私のことばを守りなさい。(1節)

箴言の編者はここでは、若者たちに、色仕掛けのわなにはまらないように警告します。そのため、一つのリアルな話をします。浅はかな若者がたそがれ時に道を歩いていると、遊女の装いをした女が誘惑した。夫は旅に出ていていないので、私の家で朝まで酔いしれましょうと。その若者はほいほいとついて行った。「屠り場に引かれて行くように」ということが、何を意味するのかわかりませんが、女に殺されて金を奪われるか、夫と称する男に脅迫されるかでしょう。

さて、箴言の編者は1節で、「わが子よ」と呼びかけます。若者たちを自分の子のように思ってそう呼びかけているのでしょう。その自分の子ではない若者を自分の子のように思うのは、彼のうちにある神の霊がそのような気持ちにならせているのでしょう。それは即、神ご自身のお気持ちです。神は、人間を造りいのちを与えたお方として、人間を「わが子」として愛し、いつも「わが子よ」と呼びかけてこられたと思います。神は「わが子」への愛をいろいろな形で表してこられました。パウロは使徒の働き14章17節で、「あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられたのです」と言います。神は、人間がどんなに反抗的になっても、自然の恵みを与え続けてこられました。また、神は預言者たちを通し、「わが子よ」と呼びかけてこられました。預言者たちの言葉は聖書に結晶し、聖書は、神の「わが子よ」という呼びかけに満ちています。しかし、何と言っても、神が「わが子」への愛を一番表されたのは、本質的な意味での神の子キリストをあえてこの世に遣わされたことです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」。さらに、神は、永遠のいのちを与えられた私たちを訓練されます。それは決して楽なものではありませんが、その訓練に、神の「わが子」への愛が込められています。箴言3章11節は言います。「わが子よ、主の懲らしめを拒むな。父がいとしい子を叱るように、主は愛する者を叱る。」

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