2024年10月14日(月)
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聖書一日一章 箴言 8章
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わたしを愛する者を、わたしは愛する。(17節)
箴言の編者は、神に祝福されるための知恵について語ってきましたが、ここでは、その知恵があたかも人間のように四つ角に立って、人々に、私を身につけるようにと呼びかけます。王たちは私によって治め、さばき人たちはさばいた、私を身につける者には、富と誉れを与えると言います。22節からは、それどころか、神は永遠の昔から私を持っておられ、私によって天地万物を造られたと言います。それゆえ、私に聞き従うようにと勧めます。
さて、17節では、知恵が、「わたしを愛する者を、わたしは愛する」と言います。知恵を愛する人は、知恵に愛され、知恵がまとわりついて来るというか、自然に身について来るということです。一般に、動物を愛する人は、動物に懐かれますし、子どもを愛する人は、子どもに好かれます。ですから、知恵を愛する人が知恵に愛されるのは、自然なことです。もっとも、知恵は愛したり、愛さなっかたりしないでしょうから、その人が知恵を愛しているのを神が見て、神がその人に知恵を与えられるということでしょう。
この知恵を愛する人は神の言葉も愛するでしょう。そして、神の言葉を愛することは、神ご自身を愛することと密接な関係があります。キリストはヨハネの福音書14章23節で言われます。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」キリストを愛する人、キリストの言葉を愛する人でもありますが、その人は、キリストと父なる神が愛され、その人とともに住まれるというのです。
それにしても、神を愛するなら、神に愛してもらえるというのは、幸いなことです。というのは、この世では、好意を持てば、好意ぐらいは持ってもらえるでしょうが、愛することまではしてもらえません。熱く愛しているのに、少しも愛してもらえないというのは、常です。そのため、多くの人が泣いています。しかし、神は、愛すれば、必ず愛してくださるのです。すばらしい神が、愛すれば、必ず愛してくださるとは、なんと幸いなことでしょうか。
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