2024年10月17日(木)

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聖書一日一章    箴言 11章

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心の曲がった者は主に忌み嫌われる。(20節)

神に忌み嫌われる「心の曲がった者」とは、どんな人のことでしょうか。わかるようでわからない言葉です。「変わり者」のことではありません。「変わり者」つまり性格や言行が平均的な人とは異なっている人を、「へそ曲がり」などと呼ぶことがありますが、まったく違います。あるいは、「気難しい人」、つまり何かと自分独自の考えややり方があって扱いにくい人のことではありません。たしかに、みんなが東へ行こうというときに一人西へ行く人があると、多くの人にとってはやりにくいでしょうが、それは神が一人一人に与えられた個性であり多様性です。

「心の曲がった者」とは、そういう人のことではなく、20節の後半に、「まっすぐな道を歩む者は主に喜ばれる」とありますが、それと正反対の人のことです。心が「まっすぐ」というのは、口で言うことと心で思っていることが一致している状態ですから、反対の、心が「曲がっ」ているというのは、口で良いことを言っていても心では悪いことを考えているようなことです。1節にある「欺き」はまさにそれです。6節の「裏切る者」も、忠実そうに見せて、心では裏切ろうと思っているのですから、「心の曲がった者」です。13節には、「人を中傷して回る者」とありますが、ある人についてありもしない悪事を言って回るのですから、「心の曲がった者」です。23節には、「正しい人の願いは、ただ良いこと。悪しき者の望みは、激しい怒り」とあります。普通の人は損得を考えて行動するので、良いこともしますが、得にならなければしませんし、時には悪いこともします。心のまっすぐな人とは、だれに対しても、どんなときにも、ただ良いことをしようと思う人です。

とはいえ、そんな心のまっすぐな人がいるでしょうか。キリストはほんとうにそういう方です。キリストだけだと思います。私たちはみなある程度「心の曲がった者」です。私たちはみな変えられる必要があります。キリストによって新しく生まれる必要があります。新しく生まれた人は、パウロがコリント人への手紙第二3章18節で言うように、「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられてい」く必要があります。

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