2024年10月19日(土)
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聖書一日一章 箴言 13章
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知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。(20節)
箴言で言う知恵は、神に祝福されるための知恵ですが、その知恵を持つ人と持たない人があるのはなぜか、どうしてその違いが生じるのかという疑問が湧いてきました。その違いの一つは、1章から9章に渡って箴言の編者が知恵を得るように呼びかけていますが、それは神の呼びかけでもありますが、その呼びかけに、本人が応じるかどうかでしょう。もう一つは、20節に、「知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る」とありますが、知恵のある者と出会い、ともに歩むかどうかでしょう。
一般の世界でも、知恵ある者同士が出会い刺激し合うことが、すぐれた知恵を生み出します。現在世界のIT業界をリードしている名だたる企業が、1970年代に米国カリフォルニア州のある町の近くにいたコンピューター好きの若者たちによって創業されたことがそのことを証明しています。
信仰の世界でもそうです。たとえば、プロテスタントの信仰は、日本では明治維新以降に伝えられましたが、3つの小さなグループに加わった青年たちが日本のキリスト教界をリードしました。熊本でジェーンズという英語教師の聖書研究会に集った青年たち、札幌農学校でクラークという教師から学んだ学生たち、横浜でブラウンという宣教師の塾に集った青年たちです。たまたまそのグループにいたことで、そんな信仰と知恵を得たのです。
しかし、振り返ると、キリストの弟子たちがそうでした。弟子たちはもともと特別に信仰深い人々でもすぐれた人々でもありません。たまたまその時期にガリラヤ地方にいて、宣教を始められたキリストに出会い、3年ほどキリストとともに歩んだので、世界の2千年に渡る教会のリーダーとなったのです。私たちは、その時期のガリラヤ地方にタイムスリップして、その仲間に加わることはできません。しかし、キリストとともに歩むことは、キリストを信じている人ならだれでもできることですし、していることです。神に祝福されるための知恵を得る道は、その知恵を求めることと、だれよりもその知恵を持っておられるキリストとともに歩むことです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成