2024年10月20日(日)

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聖書一日一章    箴言 14章

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いかなる労苦にも利益がある。(23節)

 23節が、そのように、「いかなる労苦にも利益がある」と断言していることに驚きました。私たちは、労苦して、成果があればよいが、ないかもしれないと思いますし、うまくやらないと、無駄になってしまうと心配します。しかし、どんな労苦も無駄にはならない、必ず益があると言うのです。それは、神がおられ、正しく公平な方で、正しく報いられるからです。パウロはコリント人への手紙第一15章58節で言います。「私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」

ただし、一つだけ条件があります。12節には、「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある」とあります。人の目には、順風満帆に見えても、悲しい死に至る道があるというのです。そういう道を歩んでいるなら、いくら労苦しても、益がありません。それはどんな道でしょうか。一つは、地上に宝を積むために労苦する道でしょう。地上の宝は朽ちてしまいます。天に宝を積むために労苦するべきです。一つは、自分の栄光のため、自分の名のために労苦する道でしょう。神の栄光のために労苦すべきです。一つは、憎しみのために、復讐のために労苦する道でしょう。憎しみは神に訴え、復讐を神にゆだねるべきです。これらの悲しい死に至る道は、そこを歩んでいる人にはまっすぐに見えますが、すべての労苦が無駄に終わってしまいます。「いのちの道」に乗り換えなければなりません。「わたしが道です」と言われるキリストについて行くことです。

その意味で「いのちの道」を歩んでいるなら、どんな労苦も益になります。労苦ばかりで何の益もないように見えることもありますが、必ず永遠の益につながります。死ぬときも、大きな喜びと望みとをもって死ぬことができると思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成