2024年10月24日(木)

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聖書一日一章    箴言 18章

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人の口のことばは深い水。(4節)

人の口から出る言葉は、その人の心から出てくるのですが、その心は山奥の湖のように深く、その深いところから出てくるものだと言うのです。たしかに人の口から出る言葉は、その文法的な意味だけでなく、その人の心の深いところにある思いを表しています。たとえば、今年の春に天に召された星野富弘さんの詩画の言葉は、花の絵にそえた短い言葉ですが、星野さんの心の深いところにある人への優しさと神への信仰を感じさせます。

しかし、心の深さということでは、神のみ心の深さは、人間と比べものになりませんし、限りがありません。ですから、神から出た言葉、聖書の言葉は、何度読んでも、新しいことを教えられますし、新しい発見があります。

4節の後半では、「知恵の泉は湧いて流れる川」と言います。人の心の深いところに箴言の言う知恵があれば、喋る毎にその知恵が泉のように湧き出ることでしょう。キリストの言葉はまさにそのような言葉です。しかし、私たちは心の深いところが濁っているので、喋る毎に濁った水が出てきます。キリストはマルコの福音書7章20節で言われました。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」私たちは喋れば喋るほど、自分の心の汚れをさらすことになります。それは神の前にも人の前にも恥ずかしいことです。

しかし、キリストを信じる者には嬉しい約束が与えられています。キリストはヨハネの福音書7章37節と38節で言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、その人の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。」まずキリストから永遠のいのちに至る水を飲みましょう。つまり、キリストに心を開き、その言葉と教えを受け入れましょう。そうすると、聖霊が与えられます。聖霊が与えられていれば、きっと心の奥底に聖霊の泉が湧き出るはずです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成