2024年10月30日(水)

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聖書一日一章    箴言 24章

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もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。(10節)

「苦難の日に気落ちしたら、あなたは弱い」と言われても、苦難の日に気落ちしない人がいるでしょうか。だれでも、良いことが続いたり、目指してきたことに成功したりすると、心がはずみ、ますますやる気が出てくるでしょう。そんなに良いことがなくても、平穏な日々が続けば、それなりに安定した気持ちでおれるでしょう。しかし、苦難の日、重い病気になったり、収入の道が閉ざされたり、大失敗して責められたり、身近な人との間でトラブルが起きたり、介護などで疲れ果てたりした日には、気落ちしないわけにはいきません。元気がなくなり、気が晴れず、何をする気にもならず、ため息ばかりつくようになります。パウロのような強い人でも、コリント人への手紙第二11章29節で、「だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか」と自分の弱さを告白しています。

しかし、それでも、キリストを信じる人は違うと思うのです。まず、苦難は神が与えられたものだと知っています。神が与えられたものか、偶然起こったものかは、大きな違いがあります。神が与えられたものならば、神の深いご計画があり、何かの有意義な目的があり、「試練」として受けとめることができます。また、苦難が重くても、神の力によって乗り越えることができると思えます。パウロはピリピ人への手紙4章13節で、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできる」と言います。コリント人への手紙第二12章10節では、「私が弱いときにこそ、私は強いからです」と言います。さらに、苦難を信仰的に受けとめ、祈りによって乗り越えるならば、大きな霊的祝福があることを知っています。ヤコブはその手紙の1章2節から4節と12節で言います。「私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。‥‥試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。」

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