2024年11月2日(土)
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聖書一日一章 箴言 27章
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満ち足りている者は蜂の巣も踏みつける。(7節)
蜂蜜は現在でも甘い物の代表ですが、箴言の頃は、砂糖などがないので、唯一の甘い物でした。そのうえ、養蜂の技術がなく、自然の蜂の巣から取ったものしかなかったので、きわめて貴重で、魅力的でした。そんな蜂蜜のしたたる蜂の巣でも、満ち足りている人は欲しいと思わず、踏みつけるというのです。たしかに、私たちも、お祝いなどで、豪華な料理を食べて満腹し、味覚も心も満たされているときには、おいしそうな料理を見ても、少しも食べたいとは思いません。
パウロはテモテへの手紙第一6章6節で、金持ちになりたがる人々に対して、「満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です」と言い、「衣食があれば、それで満足す」るように勧めます。金持ちになりたがる人は、いろいろ欲しい物があり、手に入れたいので、最低限の衣食で満足するようにと言われても、普通はできません。しかし、パウロが「満ち足りる心を伴う敬虔」と言うように、敬虔つまり信仰によって、満ち足りる心を持つ道があり、そういう心を持つと、話は別になります。心が満ち足りていれば、普通は欲しいと思うものでも、そうは思わなくなり、最低限の衣食は必要ですが、それ以上のものをあまり欲しがらなくなるのです。
へブル人への手紙13章5節は同じように、「今持っているもので満足しなさい」と言いますが、その理由として、キリストが「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたことを挙げます。キリストが見放されず、見捨てられないなら、キリストがずっとともにおられるわけで、それならきっと心が満ち足りるでしょうし、必要最低限のものはキリストが与えてくださるに違いありません。また、キリストは、ルカの福音書6章21節で、「今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです」と言われました。ご自身を信じる人々に、満ち足りるようになることを約束されたのです。これは決して来たるべき世のことではないと思います。この世で、満ち足りる心を持って、いつも満ち足りた気持ちでいることだと思います。私たちは今、そのことを少し体験しているのではないでしょうか。
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