2024年11月3日(日)

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聖書一日一章    箴言 28章

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忠実な人は多くの祝福を得る。(20節)

20節では、「忠実な人は多くの祝福を得る。しかし、富を得ようと急ぐ者は罰を免れない」と言います。富を得ようと急ぐと、普通のやり方では手っ取り早くは得られないので、道からそれたやり方をすることになります。旧約聖書では、み言葉で禁じられている高利貸しをするとか、新約聖書では、売国奴として嫌われている取税人になるとか、現在では、違法な取引をするとか、危ない投資に手を出すとかです。そうすると、法律によって罰せられるか、そういうことに巻き込まれて被害にあうか、いずれにしても良いことはありません。

その反対が「忠実な人」なのですが、職務に忠実とか、上司に忠実とかの意味ではなく、神に忠実という意味でしょう。神に忠実な人は多くの祝福を得るということですが、この祝福はけっして霊的な祝福、つまり信仰的な祝福や来るべき世での祝福に限らないと思います。旧約聖書では、アブラハムにしてもダビデにしてもヨブにしても、多くの富が祝福として書かれています。新約聖書では、霊的な祝福が強調されていますが、キリストが「神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」と言って、食べる物も着る物も与えられると言われたように、物質的な祝福がないわけではありません。霊的な祝福に加えて富も与えられるのです。

それでは、富を得たいと願う賢い人が、神に忠実なら富を得られると思い、それを目指して神に忠実に仕える場合はどうでしょうか。私は、そんなふうに一番根元にある動機が富を得たいということなら、神にずっと忠実であることができないように思います。キリストがマルコの福音書4章で言われたように、「この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んで」、み言葉から離し、忠実でなくしてしまうのです。やはり、キリストによって新しく生まれ、神を愛するようになった人だけが、忠実でありえるのではないでしょうか。私たちが今、神を愛しているなら、それはとても幸いなことです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成