2024年11月4日(月)
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聖書一日一章 箴言 29章
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高ぶりはその人を低くし、へりくだった人は誉れをつかむ。(23節)
高ぶりは人を落ちぶれさせ、へりくだった人は成功し栄誉をつかむという真理は、聖書のいろいろな箇所に記されていますし、その実例の話もいくつもあります。ルカの福音書1章にあるマリアの祈りもその一つです。「主は、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられ、飢えた者を長いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。」これはマリア自身が体験したことです。つまり、神を愛し、へりくだっていたら、神は平凡な少女の自分を「いと高き神の子」の母に選び、夢のような栄誉を与えてくださったのです。
この真理は、多くの箇所では、神を主語にして、神が高ぶる者を低くし、へりくだった者を高められるという具合に述べられています。それに対し、箴言のこの節は、「高ぶりはその人を低くし、へりくだった人は誉れをつかむ」と、神の名を一つも出さず、世の中の普遍的な真理として述べています。
この言い方ですと、世界各地のいろいろなことわざと一致します。日本の平家物語には、「おごれる者は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」という言葉があります。英語圏では、「傲慢は破滅に先立つ」ということわざがあるそうですし、スペインには、「一番高い塔が倒れる」ということわざがあるそうです。この言い方ですと、どこの国の人にも受け入れられるでしょう。
「神は高ぶる人を低くし、へりくだった人を高くされる」という言い方だと、神を知っている人には通じても、神を知らない人には通じません。もし私たちが神を知らない人にこの真理を伝えるのなら、この世の普遍的な真理として話した上で、高ぶる人を低くしたり、へりくだる人を高くしたりするのは神だ、と話すほうが受け入れられやすいでしょう。信じていない人に信仰の真理を伝えるためには、信じていることを恐れずに話すことも大切ですが、共通点を増やし、敷居を低くすることも大切でしょう。箴言は、神を知らない人に信仰の真理を伝えるための知恵も教えてくれるように思います。
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