2024年11月6日(水)
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聖書一日一章 箴言 31章
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主を恐れる女はほめたたえられる。(30節)
この章の10節以下には、「しっかりした妻をだれが見つけられるだろう」という言葉で始まって、良妻賢母の模範のような女性が描かれています。この女性が尊敬すべきなのには異論がないでしょうが、クリスチャン女性に対し、この女性を見習いなさいと教えるのであれば、反論もあるでしょう。新約聖書ではどうかと言うと、パウロやペテロが妻のあり方を教えていますが、総じて、夫に従い、謙遜にふるまう従順な妻です。とくに、テトスへの手紙2章4節では、「夫を愛し、子どもを愛し、家事に励」むように勧めています。それに比べると、箴言のこの女性は、遠い所まで行って羊毛や食糧を手に入れるとか、土地を買ってぶどう園を作るとか、商人たちと取り引きをするとか、むしろ現在の社会で活躍する女性に近いです。パウロやペテロは当時の標準的な女性を念頭に置いているのであって、それは時代によって変わるもので、絶対的ではないと思います。しかし、どれにも共通していることがあります。家族を愛することです。これだけは時代によっては変わらないし、夫も心がけなくてはならないことです。
ところで、箴言のこの女性の描写に、信仰のことはあまり出てきません。30節に、「主を恐れる女」と言われているだけです。ルカの福音書10章38節以下に、マルタとマリアという姉妹が出てきます。マルタは働き者で、家を取り仕切っていました。一方、マリアは、何もしないで、キリストの教えに聞き入っていて、マルタが苦情を言うほどでした。マルタは箴言のこの女性に近く、マリアはこの女性とは対照的です。しかし、キリストは、「必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました」と言われました。キリストが言われたただ一つの必要なこととは、神を愛し、何よりも神のことを知りたいと思うことです。この箴言の女性のように、実際的によくできる人で、しかもマリアのように敬虔な人であれば、理想的ですが、そんな人はほとんどいません。ただ、実際的によくできる人でなくても、主をこよなく愛し、主のことを知りたいと思っているなら、幸いだと言えます。
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