2024年11月7日(木)
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聖書一日一章 伝道者の書 1章
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日の下には新しいものは一つもない。(9節)
1節に「エルサレムの王、ダビデの子、伝道者のことば」とありますので、著者は、ダビデの子のソロモン王か、その子孫の王だと考えられます。伝道者と称する著者は、生きる意味を熱心に尋ね求めてきましたが、2節で「空の空。すべては空」と言い、14節で、「すべては空しく、風を追うようなものだ」と言います。なぜそんなに空しいと思うのかと言うと、世界は、時代が変わっても少しも変わらず、新しく見えることでも、前の時代にあったもので、それぞれの時代の人々の懸命な努力が何の意味もないからです。
さて、9節では、「日の下には新しいものは一つもない」と言う言葉は、本当でしょうか。というのは、私たちはテクノロジーが急激に進んだ時代を生きてきて、世の中が日進月歩で変わっていくのを見てきたからです。ただ、その変化が人間をほんとうに幸福にするかと言うと、大いに疑問があります。テクノロジーが進んだ結果、貧富の差が拡大し、戦争が増え、核戦争で人類が滅びる危険があり、現在一番問題になっている温暖化が起こっています。ですから、人間をほんとうに幸福にする新しいものは、ない、と言えます。
その点、キリストが神のもとからこの世に来られたことは、人間をほんとうに幸福にする新しいことです。神はイザヤ書43章19節で、キリストのことを予告して言われました。「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。必ず、わたしは荒野に道を、荒野に川を設ける。」エレミヤは、神がキリストによって新しい契約を結ばれることを予告して、エレミヤ書31章22節で、「主はこの地に、一つの新しいことを創造される」と言います。その預言通りに現れたキリストは、人々にまったく新しい人生を与えられます。パウロは、コリント人への手紙第二5章17節で、キリストによる新しい人生について、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」と言います。キリストによって、今までなかった新しい人生、この世の国々とは違うまったく新しい国、新しい人間関係が実現しました。それは、キリストの再臨によって始まる新しい世界につながるものです。
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