2024年11月14日(木)
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聖書一日一章 伝道者の書 8章
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何が起こるかを知っている者はいない。(7節)
著者はここでは、原則に当てはまらないわかりにくい現実について述べています。たとえば12節では、「悪を百回行っても、罪人は長生きしている。しかし、神を恐れる者が幸せであることを知っている」と言います。神を恐れる者は幸せになり、悪を行なう者は不幸になるという原則が、間違っているように見えるし、合っているようにも見えるわかりにくい現実です。
さて、7節では、「何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかを、だれも告げることはできない」と言います。そして、その例として、風の動きを知ることができないことを挙げます。また、人がいつ死ぬかをだれも知ることができないことを挙げます。どんな出来事がいつ起こるかだれもわからないということは、科学が進んだ現在でも同じです。日本では、地震がいつ起こるのかが、痛切な問題ですが、30年ほど前に、地震予知連絡会というのがよくテレビに登場していました。最近はほとんど音沙汰がありません。やはり予知は無理ということなのでしょうか。
実際、どんな出来事がいつ起こるかわかりません。私が子どもの頃は、日本の人口がどんどん増加していて、将来狭い国土では住めなくなるのではないかと心配していました。現在のように人口の減少が問題になるとは、だれが想像できたでしょうか。また、私たちは、現在平和を享受していますが、世界的な核戦争が起こることがないとはだれも言えません。ひどいことが起こらないでほしいと願うのは、私だけでしょうか。しかし、そんなふうに願っても、その通りにはなりません。むしろ、何が起こっても、神が深い思慮によって立てられた永遠のご計画によることで、神はすべてを知っておられ、良い目的があるはずだと、受けとめるべきでしょう。ヤコブはその手紙4章13節で言います。「『今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売してもうけよう』と言っている者たち、よく聞きなさい。あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたはむしろ、『主のみこころであれば、私は生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです。」
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